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佛光寺 (山西省) : ウィキペディア日本語版
佛光寺 (山西省)[ぶっこうじ]

佛光寺(ぶっこうじ)は、中華人民共和国山西省五台県豆村にある仏教寺院である。本堂である大殿(東大殿ともいう)は代の857年建立で、中国に現存する木造建築物としては三番目に古い〔Steinhardt (2004), pp. 229 - 230〕。佛光寺で大殿に次ぐ規模を持つ文殊堂は金王朝時代の1137年に建立された。また、寺内にある6世紀の石造墓塔は現存するもので嵩岳寺塔の次に古いレンガ塔である〔Qin (2004), p. 342.〕。寺内の建築物の他、唐代の塑像と壁画、墨跡は中国の「四絶」と称せられる国宝として名高い〔中国建築・名所案内, p. 96〕〔川端, p. 2〕。佛光寺は2009年、文化遺産「五台山」の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。
奈良唐招提寺金堂は晩唐の建築様式の影響を受けているが、佛光寺の大殿は同じ山西省の南禅寺大殿や広仁王廟正殿と並んで晩唐から残る建築物である〔伊藤 (2007), p. 23〕。
== 歴史 ==

佛光寺は初め、北魏孝文帝(在位471年 - 499年)のときに建てられ、785年から820年にかけて高さ32メートルに及ぶ九間三層の弥勒大閣が加えられた〔Chai (1999), p 83〕。唐の845年武宗会昌の廃仏を進めると、祖師塔を除いて創建時の堂宇のほとんどが焼かれてしまう。12年後の857年、焼失した弥勒大閣の跡地に大殿が建てられた。堂の梁に残されていた記録によると、寧公遇という名の女性からの寄進を受け、願誠和尚が建造を主導した。
10世紀に建造された莫高窟第61窟には佛光寺が描かれているが、ここでは大殿が緑色の光沢を持つ屋根のある二層の堂になっており、朱色と白色を基調とする実際の大殿とは大きく異なっている。佛光寺が主要な巡礼先霊場の1つであったことがこの壁画に表されている〔Steinhardt (2004), p. 237〕。
金王朝時代の1137年伽藍の北に文殊堂が、また南に普賢堂が建設された。ただし、普賢堂は代に焼失している〔Steinhardt (1997), p. 231〕〔Chai (1999), p. 310〕。
1930年、中國營造學社 (''the Society for Research in Chinese Architecture'') が設立され、中国の古代建築研究が開始された。活動を開始してから7年目となる1937年梁思成が率いる調査チームが佛光寺の建立年代を特定するに至った〔Steinhardt (2004), p. 228〕。垂木に刻まれた銘を梁の妻が発見し、堂の建築様式が唐時代のそれに合致することから、建立は銘のとおり唐代と確認された〔Fairbank (1994), pp. 95-96〕。梁の調査チームによって同年、南禅寺がさらに古いことが確認されるまでの短期間ではあったが、佛光寺は中国で現存する最も古い寺院となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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